アブハジア Abkhaziaაფხაზეთი
アブハジアについて
グルジアに北西部に位置し、ロシアと国境を共有している。ソビエト時代は、夏は黒海のビーチ、冬はスキーのリゾート地として有名だった。しかし、1989年頃からアブハジアの独立運動が勃発し治安は不安定な状況が続いている。アブハジア側は独立国として、グルジア側はグルジアの自治共和国としている。
(グルジア情報サイトにアブハジアが含まれるかどうか賛否両論があるかもしれませんが、国際的に独立は認められていないということで、アブハジアのページもつくりました。アブハジアとグルジア間の問題も重要ですが、そこには素晴らしい人々と景色があることもお伝えできたらと思います。)
旅行前には、外務省の渡航情報をご確認ください。
面積 |
8,432k㎡ (面積の74%は山岳地帯) |
言語 |
アブハズ語、ロシア語 |
首都 |
スフミ |
大統領 |
セルゲイ バガプシュ |
副大統領 |
アレクサンドル アンクヴァブ |
首相 |
セルゲイ シャンバ |
歴史
紀元前12世紀 | アブハズ人の先祖であるとされるアベシュラ族がアッシリアのティグラトピレセル王と戦争。 |
3世紀 | ビザンティン帝国の一部に。 |
6世紀 | ビザンティン帝国、ラズカ帝国の影響下に。 |
8世紀 | アチュバ家のレオンがアブハジア王に。 |
18世紀 | シャルヴァシゼ家の領土に。 |
1810 | ロシア帝国に併合。 |
1866 | 民衆はロシアの保護領になること反乱。多くのイスラム教徒のアブハズ人はオスマン朝へ亡命。 |
1918 | グルジアは軍隊でアブハジア地域を制圧。 |
1921 | アブハジア社会主義共和国 |
1936 | スターリン憲法によりグルジア・ソヴィエト社会主義共和国の自治共和国に。 |
1989年4月 | トビリシ事件 |
1989年7月 | スフミにグルジア語で教育を行う学校を配置。 分離要求を求めてスフミ事件 ソ連治安部隊によって鎮圧。 |
1992年7月 | アブハジア独立宣言 アブハジア紛争勃発。 |
1992 | アブハジア軍は全土制圧し、当地人口の70%(25万人)が国内避難民として避難。 |
1993年5月 | 国連がグルジアとアブハジアの調停を開始。 |
1993年12月 | 停戦し、事実上独立。 |
2008年8月26日 | ロシアがアブハジアの独立を承認。現在も、国際的にはアブハジアの独立は未承認。 |
観光ガイド
スフミ Sukhumi |
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アブハジアの首都。郊外にはスフミドランダ空港がある。 |
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スフミ植物園 Sukhumi botanical garden |
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アブハジアの大壁 Great Wall of Abkhazia |
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800年前の岩の橋 Beslet arcaded bridge |
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バグラト3世の宮殿 Castle of Bagrat III |
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スフミ山 Mount Sukhum |
ニューアトス New Athos(Akali Atoni) |
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スフミから北へ約24キロのところにある町。5世紀頃までビザンチンの一部だったため、現在もビザンチンの遺跡が残っている。 |
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ニューアトス修道院 New Athos Monastery(St. Simon the Canaanite church) |
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スターリンのダーチャ(別荘)Stalin's Dacha |
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ニューアトスの洞窟New Athos Cave ახალი ათონის მღვიმე |
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ニューアトスの滝 New Athos Waterfall |
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イベリアン山 Iverian Mountain |
ガグラ Gagra |
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スフミから北へ約94キロのところにある町。1世紀には古代ローマ、4-5世紀にはグルジア、14世紀にはジェノバの植民地となった。1308年にイタリア人ピエトロ ヴィスコンティが作った地図にガグラの名がのっている。16世紀にオスマン帝国に占領され、1830年に帝国ロシア支配下になった。ソヴィエト時代に保養地として栄えた。 |
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アバアタ要塞跡 Abaata Fortress |
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オルデンブルクの宮殿 Palace of the Prince of Oldenburg |