歴史
年表
王位 | ||
旧石器時代(紀元前200万~1万年) | 南部のドマニシDmanisiで約160~180万年前の人類化石が発見される。アフリカ大陸外では最古の人類の発見となるまたグルジア各地ではアシュール文化、ムスティエ文化の遺跡が発見されており、グルジア近辺はアフリカからヨーロッパ大陸へ人類が移動した最初の地であると考えられている。 *アシュールAcheulian文化 北フランス、アミアン郊外、サンタシュール(Saint Acheul) 遺跡を標準遺跡とする前期旧石器時代文化。 *ムスティエ文化 フランス、ドルドーニュ地方のムスティエ(Moustier)岩陰を標準遺跡とする。 |
|
中石器時代(紀元前1万前~8000) | ||
新石器時代(紀元前8000万~) | 新石器時代の鍬などの遺物が発見されており、農耕生活が行われていたことが証明されている。 | |
青銅器時代 | 青銅器時代の遺物(金、銀、銅の道具)が発見されており卓越した採鉱・精錬技術がみられる。 | |
紀元前2000~1000 | 西グルジアにディアオヒ/ディアオキ/タオ(Diauekhi/Taokhoi/Tao)民族とコルキス/コルハ/コルカ(Colchis/Kolkha/Qolha)民族が現れる。 *コルキスの名はギリシア神話に登場している。 |
|
紀元前9世紀 | ディアオヒの一部がウラルトゥ王国の一部に。 *ウラルトゥの碑文にディアオヒ族とコルキス族の2つの部族の名が残っている。 *ウラルトゥ王国(アララト王国)は、前9-6世紀にトルコ東部、アルメニア、南コーカサスに存在した王国。 |
|
紀元前6世紀 | 西グルジアで黄金、銀、鉄を産出するコルキスColchis王国(アブハジア地方含む)が繁栄。 *コルキス王国は自称エグリシEgrisi王国。古代ギリシア人がグルジア黒海南東の人々をコルキスKolchisと呼んだ。 |
|
紀元前4世紀 | 東グルジアにイベリアIberia王国繁栄。 グルジア年代記によると、この頃にグルジア文字が創作されたとされる。 *イベリア王国は 紀元前4-5世紀に現グルジア東南部にあった王国。カルトリ王国Kartliとも呼ぶ。首都はムツヘタ。 |
|
約紀元前302-237 | 伝説によるとアレクサンドロス大王に反対するパルナヴァズ 1世が最初のイベリアの王となる。 *アレクサンドロス大王は前356-323に在位していたマケドニア王国の王。 |
在ca.前302-237 パルナヴァズ 1世 King Parnavaz I |
紀元前2世紀 | コルキスはポントス王国によって制圧される。 *ポントス王国 紀元前281-64に黒海東南岸を支配していた王国。 |
|
紀元前65 | ポントス王国がローマ帝国に敗れたことにより、コルキスはローマ帝国のポンペイウスpompeiusの属国に。 | |
紀元前1世紀 | イベリア、ローマ帝国の保護下に。 | |
1世紀 | 西グルジアでイエスの12使徒たちがキリスト教布教活動を行う。 | |
2世紀前半(241-272) | イベリアのシャプール1世がイベリアを属国に。 *シャプール1世Shapur Iは在241-272、ササン朝の2代目の王。 *ササン朝は224-651年に西アジアを支配していたイランの王朝。 |
在260-265 Amazasp II |
298 | ローマ帝国がニスィビス条約Peace of Nisibis でイベリア王国を支配下に。 | |
4世紀 | コルキスの一部(現アブハジア地域)にラズィカ王国建国。 | |
ca.317-337 | イベリア、キリスト教を世界で2番目に国教に。カッパドキアの聖ニノによりイベリア王ミリアンはキリスト教を国教とする。 | 在318-361(265-361)ミリアン3世 Mirian III (Saint King Mirian) |
363 | ローマ帝国がササン朝との戦いに敗れ、イベリアは再びササン朝治下に。 | |
395 | 東西ローマ帝国、分裂。コルキスは東ローマ帝国(ビザンティン帝国)治下に。 *東ローマ帝国=ビザンティン帝国。 |
|
在435-447 Mihrdat V | ||
ca 452 | ヴァフタング1世、トビリシに町を築く。 | 在447-522 (or 452-502) (440-502) ヴァフタング1世(ヴァフタング ゴルガサリ) Saint King Vakhtang I Gorgasali |
482 | ヴァフタング1世、ササン朝を攻撃。 | |
502 | ササン朝との戦いでヴァフタング1世死亡。ダチ、イベリアの首都をムツヘタからトビリシへ遷都する。 | |
523 | ラズィカ王国、キリスト教を国教に。 | 在522-534 ダチ Dachi I Ujarmeli |
イベリア王国、ササン朝によって併合。 | ||
527-533 | ラズィカ戦争。ササン朝がラズィカ王国を攻撃。 | |
562 | ラズィカ王国、ビザンティン帝国によって併合。 | |
570-580 | ササン朝によってトビリシ没落。 | 575-590 Guaram I |
590-605 Stepanoz I | ||
6世紀末 | ラズィカ王国がビザンティン帝国の属国になりラズィカ王国の権力が拡大。 | |
627 | ビザンティン帝国の支援を受けたブルガル軍がトビリシを占領。 | |
645 | トビリシが陥落し、イベリアはササン朝の支配下に。 | |
736-738 | トビリシ、アラブ軍によって侵略。 | |
764 |
トビリシ、アラブ支配下でハザール軍によって侵略。 *ハザールKhazarは7世紀から10世紀にかけてカスピ海、黒海付近で栄えた遊牧国家。 |
|
813 | アショット1世がアラブ支配に抵抗し始める。 | 在786(780)-830 (8世紀末-830)Ashot I Kuropalates or Ashot the Great |
853-1050 | トビリシ、再びアラブの支配下に。 | 在826-876 バグラト1世 Bagrat I |
在876-881 ダヴィト1世 David I 在923-937 ダヴィト2世 David II |
||
975 | バグラト朝成立。 バグラト3世からギオルギ8世までグルジア王国の王としてバグラト王朝が続く。 * 975-1122、クタイシがグルジア王国の首都となる。 |
在958-994 バグラト2世 Bagrat II Regueni (the Simple) |
在978/1008-1014 (ca. 960-1014)バグラト3世 Bagrat III 在994-1008グルゲン Gurgen2世 |
||
1008 | バグラト3世がカへティ地方を除く全グルジアを統一し、グルジア王国の初代の王に。 | |
1010 | バグラト3世、カへティ地方も統一。 バグラト3世、芸術繁栄にも力を入れ、各地に教会を建築。 |
|
在1014-1027 ギオルギ1世 Giorgi I | ||
1045 | バグラト4世、アルメニアの首都アニAniを制圧。 | 在1027-1072 バグラト4世 Bagrat IV |
1063 | セルジューク朝、南西グルジアを攻撃。 *セルジューク朝 1038-1194にあったトルコ王朝。 |
|
1068 | 東グルジアもセルジューク朝によって制圧。 | |
在1072-1089 ギオルギ2世 Giorgi II | ||
1080 | ダヴィト4世、セルジューク朝の戦いで勝利。 * 北コーカサスからキプチャク人を移住させ親衛隊を作り、軍制を改善し西アジア最強国家となる。 |
在1089-1125 (1073 ?-1125) ダヴィト4世(建設王)David IV the Builder (Davit IV Aghmashenebelis) |
1121 | ダヴィト4世はディドゴルDidgoriの戦いでセルジューク軍に勝利し、シルワンと北アルメニアの領土獲得。 | |
1122 | ダヴィト4世はトビリシを奪還し、クタイシからトビリシに遷都。 | |
在1125-1155 Demetre I 在1155-1156 ダヴィト5世 David V |
||
1156 | ギオルギ3世、セルジューク朝を攻撃し、勝利。 | 在1156-1184 ギオルギ3世 Giorgi III |
1161-1162 | ギオルギ3世、アルメニアの町を侵略。 | |
1184 | 王タマル即位。 タマルの下、南コーカサス全域で繁栄- 教会建築、文学が発展。 |
在1184-1213 (1160-1213) 王タマル King Tamar |
1194-1204 | 王タマル、セルジューク朝を攻撃。戦いに勝利し、アルメニア南部を保護領に。 | |
1195 | Shamkor での戦いに勝利。 * Shamkor 現アゼルバイシャンの一部。 |
|
1201-1203 | アルメニアのAniとDvinを併合。 | |
1203 | セルジューク朝との戦いに勝利。 | |
1204 | カルスを占領。 *カルスは現トルコの北西部にある町。 |
|
トレビゾンド帝国建国を援助。 *トレビゾンド帝国は1204年にビザンティン帝国が十字軍によって没落した際に、ビザンティン帝国の皇族が建てた亡命政権。1204-1461に現トルコ地域に存在。 |
||
1208-1209 | アルメニアの一部を征服。 | |
1220 秋 | モンゴル帝国による初の侵入。 | 在1213-1223 ギオルギ4世 Giorgi IV Lasha |
1236 | モンゴル帝国の侵略、属国となる。 | 在1223-1245 ルスダン Rusudan |
1245 | ダヴィド7世はルスダンに王位を自分に委ねるよう要求。 → しかし、ルスダンは息子のダヴィト6世を王位を継がせるようモンゴル帝国に承認を求める。 | 在1245/1259-1293 (1225-12939) ダヴィト6世 David VI Narin(the Clever) |
1247 | モンゴル帝国へ承認を求めに旅出たダヴィト6世が戻ってこないため、ダヴィト7世がグルジア王の座に就く。 | 在1247/1259-1270 (1215-1270) ダヴィト7世 David VII Ulu |
1256 | ダヴィド7世はモンゴル帝国のアラムトAlamut征服に援助する。 * アラムトはカスピ海南に位置する現イランの地域の名。 | |
1259 | ダヴィト6世がモンゴル帝国への最初の反乱を起こすが失敗。 モンゴル帝国によって、ダヴィド6世はクタイシへ追放されるが、その後、クタイシのある西グルジア、イメレティを統治する。 |
|
1261年6月 | モンゴル帝国は攻撃したグルジアの南部(Samtskhe)の要塞を占領することができず、退軍する。 | |
1262 | イメレティを統治していたダヴィト6世はモンゴル帝国と平和条約を結び、トビリシへ戻ってくる。 | |
在1271-1289 Demetre II 在1289-1293 ヴァフタング2世 Vakhtang II 在1293-1299, 1300-1308 ダヴィト8世 David VIII 在1308-1313 ギオルギ6世Giorgi VI |
||
1335 | ゲオルギ5世、モンゴルを放逐し東西に分裂していたグルジアを統一。 | 在1299-1302, 1314-1346 ギオルギ5世(光輝王) Giorgi V Brilliant |
1336 | モンゴルの子孫とされるティムール帝国の攻撃によりトビリシ没落。 *ティムール帝国は1370-1507に中央アジア、イラン、アフガニスタンを支配していたトルコ・モンゴル系イスラム王朝。 |
|
在1346-1360 ダヴィト9世 David IX | ||
1380 | ティムール帝国が侵入。 | 在1360-1393 バグラト5世 Bagrat V |
1386-1403 | ティムールが中央アジアから計8回来襲。 | 在1393-1407 ギオルギ7世 Giorgi VII |
在1407-1411 コンスタンチン1世Konstantine I 在1412-1442 Alexander I the Great |
||
1444 | トビリシ、ペルシア軍によって侵略。 | 在1442-1446 ヴァフタング4世 Vakhtang IV |
1460年代 | カへティ王国独立。 | 在1446-1466 ギオルギ8世 Giorgi VIII |
15世紀末-17世紀 | グルジア王国は3つの王国 - 東部はサファヴィー朝服属下でカへティKakheti王国とカルトゥリKartli王国、西部はオスマン帝国服属下でイメレティImeret - と5つの公国に分裂。 *サファヴィー王朝は1501~1736に存在したイラン王朝。 *オスマン帝国は1299-1922に現トルコ(領土最大時は東欧一部、コーカサス地方)を支配していた帝国。 |
在1463/1465-1478 (1439?-1478) バグラト6世 Bagrat VI 在(1447?-1505) コンスタンチン2世 Constantine II 在1478/1483-1510 (?-1510) アレキサンダル2世 Alexander II |
在1606-1615 (1592-1622) Luarsab II (1675-1737) ヴァフタング6世 Vakhtang VI (Vakhtang the Scholar) 在1688-1703 エレクレ1世 Erekle I |
||
1762 | グルジア東部にあったカルトリ王国とカへティア王国がアフシャール朝を倒し、エレクレ2世の下でカルトリ・カへティア王国が成立。*アフシャール朝は1736-1796に存在したイラン王朝。 | 在1744-1798 エレクレ(iイラクリ)2世 Erekle II |
1783 | エレクレ2世と南下支配を目指していたロシア帝国(エカテリーナ2世)はギオルギエフスク条約を結び、東グルジアはロシア帝国の保護領になる。 *ギオルギエフスク条約は、 独立を保障し、イラン王朝とオスマン帝国の侵略から逃れるために、同じキリスト教国家のロシア帝国の保護領となる。 |
|
1795 | ロシアの援助なくカジャール朝ペルシャ軍の攻撃に敗退。 *カジャール朝ペルシャ軍は1796~1925にイランを支配していた王朝。 |
|
在1798-1800 (1746-1800) ギオルギ8世 Giorgi XIII | ||
1801 | ロシア帝国(アレクサンドル1世)は東グルジア(カルトリ・カへティ王国)を併合。 | |
1803 | ロシア帝国、グルジア北西部のミングレリアMingrelia(サメグレロ)を併合。 | |
1810 | ロシア帝国、西グルジア(イメレティ)を併合。 | |
ロシア帝国、アブハジアを併合。 | ||
1845 | ロシア帝国、チフリス(現トビリシ)にザカフカース(コーカサス)総督府を配置。 | |
1878 | アジャリア地方を含む全グルジアがロシアに併合。 | |
1892 | グルジア初の社会主義グループ「メサメ・ダシ」(第3グループ)が結成。 | |
1917 | ロシア国内で革命勃発。 * 1914年に起こった第一次世界大戦に対する反発運動が高まる。 | |
1918年5月26日 (1918-1921まで独立する) | ロシア内戦中に、グルジア・メンシェビキがグルジア民主主義共和国独立宣言。* メンシェヴィキ(Mensheviki)はロシア社会民主労働党が分裂して形成された社会主義右派。メンシェヴィキとは「少数派」の意。 | |
1918年12月7日 | アルメニア・グルジア戦争。 *グルジア南部のボルチャロBorchalo郡の領土をめぐって対立。アルメニア人が一度制圧するが、グルジアはイギリス軍の援助を得、アルメニアが撤退。 *この戦争による両民族間の緊張は現在も残っている。 |
|
1921年2月25日 | ソヴィエト赤軍第11軍がトビリシに侵攻。 | |
1922 | レーニンの健康状態が悪化。スターリンが党書記長に。 | 書記長 1922-1953 (1879-1953) ヨシフ スターリン(ジョセフ ジュガシュヴィリ) Josef Stalin (JosefDzhugashvili) |
1922年3月12日 | アルメニア、アゼルバイジャンとザカフカース・ソヴィエト連邦社会主義共和国 Transcaucasian Federation of the Soviet Republicを結成し、ソヴィエト連邦に加盟。 | |
1936 | スターリン憲法により、独立した連邦構成共和国(グルジア・ソヴィエト社会主義共和国)となる。 | |
1956 | トビリシ事件(1回目) March 9 Tragedy 第20回ソ連共産党大会のスターリン批判をきっかけに民衆集会・運動が勃発。武力弾圧によって数百人の犠牲者が出る。 | |
1989 | トビリシ事件(2回目) April 9 Tragedy アブハジア自治共和国の独立運動をきっかけに、民衆のグルジア独立回復・ソ連からの脱退要求運動が勃発。ソヴィエト軍が民衆に対して発砲し、19人の死亡者が出た。 *トビリシ事件とは1956年と1989年に起こったトビリシでの2度の弾圧事件のこと。 アブハジア紛争始まる。 *アブハジアがグルジアから独立を求めた紛争。 |
|
1980年代末 | 南オセチア紛争はじまる。 *南オセチア自治州がグルジアに対し独立を求めた紛争。 |
|
1991年4月9日 | グルジア共和国独立宣言。 | |
1991年5月 | ガムサフルディア、ソヴィエトの承認のないまま独立宣言。初代グルジア大統領に当選。 | 大統領1991-1992 (1939-1993) ズヴィアド ガムサフルディア Zviad Gamsakhurdia |
1991年12月25日 | ソヴィエト連邦の解体。 | |
1992年1月 | 軍事クーデターによりガムサフルディア大統領失脚、グルジアから追放。 | |
1992年2月 | 国家評議会創設。元ソヴィエト外相エドゥアルド・シェヴァルナッゼが国家評議会議長に就任。 | |
1995年11月 | シェヴァルナッゼ、大統領に就任。 | 大統領 1995-2003 (1928-) エドゥアルド シェヴァルドナゼEduard Shevardnadze |
2000 | シェヴァルナッゼ、再選。 | |
2003年11月 | 「バラ革命(無血革命)」が突発。 11月2日 議会選挙実施。結果はシュワルナゼの与党「新しいグルジア」の勝利。 サアカシュヴィリ率いる野党「国民運動」が選挙の不正を主張。 11月22日 野党勢力が国会議事堂を占拠。 11月23日 シュワルナゼは大統領を辞任。 経済の低迷と政府の腐敗に国民がサアカシュヴィリを支持。 |
|
2004年1月 | サアカシュヴィリ、大統領に就任。 野党「ブルジャナゼ民主主義者」の党首ニノ・ブルジャナゼ Nino Burjanadzeが暫定大統領に。就任野党「国民運動」のミヘイル・サアカシュヴィリが圧勝で大統領に就任。 |
大統領 2004-2013 (1967-) ミヘイル サアカシュヴィリ Mikheil Saakashvili |
2007年11月16日 | 大統領の退陣を要求するデモが発生。 *500人以上の負傷者が出る。 *11/7に宣言した非常事態を解除。 *グルゲニゼが首相に。 |
|
2008年1月 | サアカシュヴィリ再選。 | |
2008年8月 | グルジアが南オセチアの分離運動を阻止するため、ツヒンヴァリに侵入。グルジア-南オセチア紛争勃発。 *ロシアは南オセチア及びアブハジアの独立を一方的に承認。 |
|
2013年11月 | マルグヴェラシヴィリが2013年10月に62%の得票率で当選、11月17日大統領に就任。 | 大統領 2013- (1969-) ギオルギ・マルグヴェラシヴィリ Giorgi Margvelashvili |