グルジアの国会議事堂

政治


ソヴィエト連邦崩壊直前の1991年4月に独立宣言。翌月にガムサフルディアが初代大統領に就任。しかし、1992年1月にクーデター勃発、1995年11月にソヴィエト連邦の外相を務めていたシェヴァルナッゼが大統領に就任。2000年4月にシェヴァルナッゼが再選をはたすが、経済の低迷と政府の腐敗に国民が不満を募らせ、2003年11月に野党勢力が議会を占拠する「バラ革命(無血革命)」が突発。2004年1月に大統領選挙が行われ、野党「国民運動」のサアカシュヴィリが圧勝で当選。しかし、また2007年11月に反政府デモが起こり、不安定な政治体制が続いている。


政治体制


政体

共和制

議会

一院制(任期4年、定数235で150議席が比例代表制で、85議席が小選挙区制)

大統領(任期5年)

ギオルギ マルグヴェラシヴィリ (2013年1月就任)

首相

イラクリ ガリバシヴィリ Irakli Garibashvili

外相

マイア パンジキッゼ Maia Panjikidze(2012年10月就任)



外交政策


なぜ、グルジアは反ロシア・親欧米政策をとっているか?


対ロシア関係
一般的にロシアとの関係は良好でないといわれている。
グルジア史のなかで、ロシアが登場してくるのは18世紀頃。ロシアの皇帝エカテリーナ2世が領土拡大を狙いコーカサスに南下。同じ頃、イラン王朝とオスマン帝国の侵略に悩まされていたグルジアは同じ正教徒のロシアに援助を頼み、両国の間でギオルギエフスク条約が結ばれる。これがロシアとの最初の条約と思われる。その後、ロシア帝国がグルジアを併合し、グルジアはソヴィエト連邦の一部としてロシアとの関係を続けていくことになる。

グルジア独立前の要因
1) ギオルギエフスク条約でロシア帝国はグルジアを援助する約束をしたが、ロシアの援助なくグルジアはペルシア軍(イラン)の攻撃に敗退。
 
2) 1956と1989年に起こった二度のトビリシ事件でソヴィエト軍がグルジアの民衆を武力制圧。
 
3) ソヴィエト体制は無神論を唱えていたため、ロシア軍によってグルジア正教会の壁画等が崩壊、グルジア文化を破壊した。
 
 
グルジア独立後の要因
1) グルジアから独立を目指すアブハジア自治共和国と南オセチア自治共和国をロシアが援助。各共和国にロシア軍が駐留。グルジアは、ロシアがグルジアの治安を悪化させていると主張。
 
2) ロシアのチェチェン共和国と隣接するパンキシ渓谷(Pankisi)には、チェチェンからの難民が数千人暮らしている。ロシアは、同渓谷がチェチェン人テロリストの基地となっているとグルジアを批判。
 
3) 2006年3月にロシアはグルジアの主要輸出品であるワインと2006年5月に水の輸入を禁止。ロシア側は有毒物質混入の可能性を理由としているが、グルジア産のワインと水が健康上に問題がないことは国際機関で検査結果が出ている。輸出用ワインの70-85%がロシア輸用だったため、グルジアは「経済制裁」とみている。(ロシアの経済制裁のため、2006年のグルジア経済は3億ドルの損失。)
 
4) 2006年9月、グルジアがロシア駐留軍兵をスパイ容疑で拘束。ロシアは対抗措置として、グルジア人に対するロシアへのビザ発給、グルジアへの直行航空便運行や送金を停止。ロシアには70-100万人のグルジア人出稼ぎ労働者がいるため、送金停止によりグルジアのGDPに影響を与える。
 
5) 2006年、グルジアがロシアを経由しない原油・天然ガスパイプラインを開通。ロシアは対抗措置として、グルジアへのガスや電力の供給を制限。
 
6) 2007年8月、グルジアは、ロシアがグルジア空中でミサイルを投下したと主張。しかし、ロシアはミサイル投下を否定、グルジアの自作自演だと非難。
 
7) 2007年11月の反政府デモはロシアが野党勢力を援助したために勃発したと主張。ロシアは、このグルジアの発言を厳しく批判。
 
8) 2008年4月、ロシアは、グルジアが北大西洋条約機構(NATO)に加盟すれば、軍事的またはその他の措置をとるとことを示唆。ロシアは安保上の理由などからグルジアのNATO加盟に反対と主張。
  

対アメリカ関係
一般的に現グルジア政府は親欧米政権といわれている。

1) 1997年、元社会主義国の加盟国とNATO、 EUROへの統合を目的とした「GUAM」を結成し、ロシア離れを明確に。
 
2) 1998年10月、ロシアを通過しないBTCパイプラインをアメリカの援助のもと建設。
 
3) 2003年、アメリカ支援のNPOが選挙の不正を発表、バラ革命」のきっかけになる。その後、現サアカシュヴィリ大統領が党首である親米派の野党が選挙で圧勝。
 
4) 2004年、グルジアはNATO加盟を明確に希望し、親欧米をアピール。
 
5) 2005年12月、元社会主義国の民主化を目的とした「民主的選択の共同体」がグルジアとその他東欧諸国により創設。共同体発足にあたり、アメリカが参加、支援。
 
6) グルジア国内で独立を目指すアブハジア自治共和国と南オセチア自治共和国のテロ活動に対して、アメリカが反テロ活動を支援。アメリカはグルジアに軍育成のため軍事顧問団を派遣。
 
 

なぜ、ロシアとアメリカはグルジアに関わるのか?

2008年8月に起きた南オセチア紛争は「米ロ新冷戦」とも言われ始めている。両国はそれぞれに対抗するためグルジアの立場を利用しているとも言われており、小国グルジアに関わるにはいくつかの理由が考えられる。

ロシアの理由
1) ソヴィエトが崩壊した現在も、ロシアは旧社会主義国にロシアの影響力を維持したいと強く考えている。グルジアのロシア離れ、アメリカ寄りの政策は他の旧社会主義国にも影響を与える可能性があり、懸念している。
 
2) グルジアが親アメリカになることにより、距離的にロシアへの攻撃が可能なグルジアにアメリカ軍が駐留することはロシアにとって脅威を感じる。そのため、グルジアの親アメリカ政策に反発している。
 
3) 「なぜ、ロシアとアメリカは南オセチア問題に関わるのか?」
 

アメリカの理由
1) グルジアで民主化運動が起こることにより、他の旧社会主義国にもアメリカの影響力を及ぼしたい。
 
2) グルジアにロシアを通過しないパイプラインを通すことによって、ロシアの経済力弱化を狙っている。
 
3) グルジア軍強化(特殊部隊の訓練やパイプラインの警備)を理由に、アメリカ軍はグルジアに駐留している。しかし、ロシアの足元グルジアにアメリカ軍が駐留することは間接的にロシアを脅かすことができる。
(補足 2008年7月15日、グルジアとアメリカはグルジアで2週間合同軍事演習実施。同日、ロシアもグルジアに隣接する北カフカス軍管区対テロ演習実施した。)
 
4) 「なぜ、ロシアとアメリカは南オセチア問題に関わるのか?」